不謹慎ですけど、「かわいそう」って注目度があがる

こんにちは。約3年ぶりに引っ越しをすることになり、今の狭い家とはおさらばだと思うとワクワクがとまらない“ともまる”です。 

今日は、ネットCMで見てふと思ったことについてお話したいと思います。 

内容はこんな感じです。 

急にきれいな女性から声をかけられて告白されるんです。 

でも、自分なんてデブだしかっこ良くもないのに「なぜ?」と思いつつも、「僕なんかでよければ・・・。」と返事をしたときに・・・ 

テッテレー!ドッキリ大成功!!って。そこで、「あんたなんかと付き合うわけないじゃん!ばっかじゃないのー!あはははは!」とあざ笑われます。 

その本人は当然ながら、「やっぱり。僕みたいな人間なんて誰からも求められるわけないんだ。」って悲しくなるんです。 

でCMなんでそんな人にも・・・!みたいな展開になるんですけど。それはCM。 

でもここから気づけることって、まんまと私も見入ってしまいましたが「かわいそう」ってことにはすごい勝手に脳が引き寄せられました。 

そうなんです。なにか引き寄せたいと思うことがあったら一度「かわいそう」って事実をつくることって結構大事なんじゃないかなって思ったりしました。 

何か作品を作っている人がいて、それがなかなか世の中に認められなくてそれでもどうににかなりたいって思っていたらどうするのか? 

もちろん最高の作品を作ることは絶対条件なんですけど、なんどもなんども頑張って頑張って頑張りぬいてこれでもか!と思っても認められなくて、決して悪い作品じゃないのに門前払いでっていうストーリーがあったら、すごく聞き入ってしまいそうです。 

でもその場合の最後にあるのは、認められたという事実も必要なわけではありますが・・・。 

なかなかむずかしい問題ですが、でも順風満帆よりは苦労や失敗があったほうが絶対良い。 

それが人からかわいそうと思えるほど絶対に良い。 

なかなか不謹慎な内容ではありますけども、「かわいそう」って思われるなにかを偶然にも見つけていくことは忘れちゃいけないなと思いました。 

でも、「かわいそう」と「イタイ」は紙一重だと思うんです。 

そこにあるのは「共感」なんですけど。やっぱりかわいそうって思うことは「共感」が無ければなかなか本当の意味で「かわいそう」って思えなかったりします。 

人と同じようにしようとして、そう願うんだけどできない何かが働いて無情にもその人だけ出来なくなる何か。それが「かわいそう」につながったりするんだと思います。 

なかなか勇気のいることですけど、物語があるほうが楽しいと思うのでそんな「かわいそう」って思える何があったら是非飛び込んでいきたいなと思います。 

最後までお読みいただきありがとうございました。 

ともまる