こんにちは。まだまだ睡眠の質の向上と向き合いつつも全然効果を見いだせていない”ともまる”です。(不得意なことは”睡眠”・・・。ww)
不安なことを挙げたらキリがない、不安人間日本代表にもなれそうなわたし・・・・。今日はそんな不安と向き合いたいと思います。
誰しもが抱える「不安」。そんな不安ってなんで発生するのでしょうか。
不安が発生する原因は、「知らない・わからない」にあると思います。
不安は果たして「悪」なのだろうか
物事がわからなかったり、しらなかったりしたら、この先どうなるのか分からないので「不安」という感情が生まれます。
そういう意味においては、このコロナ禍の状態って「不安」の自動精算活発次期ですよね。いろんな分野で不安が広まっている。
緊急事態の対応や、県をまたぐ移動についての例や・・・。またまたワクチン接種の副作用などなど。打つ人打たない人。否定的な人肯定的な人などなど。テレビでもYouTubeでもいろんな議論がなされていますよね。要はだれも分からないし、人間での接種がまだまだ未知数だけに「わからない」からきているんだと思います。
あと、災害とかもこわいですよね。地震や水災など昨今ではいろんな形で猛威をふるっています。台風・地震・豪雨・地すべり・津波・落雷・・・。あげればあげるほどキリがないですね。
もちろんこれらのことが起きること自体が怖いのですが、起きた後のこれまでの生活が保障されないので怖いんです。土台が崩壊してしまうと仕事もできるか分からない。そもそも仕事があるかもわからない。仕事に行ける体であるかどうかわからないといった、見えないところへの「不安」です。
不安の逆は「楽観的」であるとおもうんですが、それはそれですてきです。物事を前向きに考えれたり、いちいち小さいことでくよくよ悩まずに気にすることがないので。何が起きても、その起きた事象を乗り越えれるほどの力がある人も多くいるので、そうゆうタイプの人は不安なんか考えるだけ無駄ってことになるんでしょうか。
はたして不安は「悪」なんでしょうか。
私はそうは思わないんですよね。むしろ防御本能の一種だと思います。
これしたら、もしかしたらこうなるかも・・・。とか、これを言ったらきっと、こうゆう風に感じてしまうだろうな。とか・・・。
分からないことへの推測がすごいできると思うんです。で、その不安に思うことが実際に起きてしまったらどうでしょうか。
不安に備え、不安に対しリスクを取り、リスクを把握して回避する施策をもっているならば、むしろ「強者」です。決して不安は悪ではなくなります。
「不安」におびえすぎるのは良くない
とはいっても限度は当然あります。不安に怯え、不安に支配されてしまい「不安」が怖くて不安を回避するために考えて考えすぎて「怯えてしまう」という事象に陥るのはよくありません。
不安に程よく付き合い、不安を良い形で利用でき、リスクから回避するためにうまく使いこなすことができれば理想ですよね。
私なんて無駄に考えてしまうのでまだまだコントロールするというより、コントロールされてしまってます。
街を歩いていて、横のビルが崩壊したらどこに逃げようとか。急に便意に襲われてどうしようもなくなったらどこに駆け込もうとか・・・。ほんとうに支配されてしまっています。
もしそうなったら良いように運ぶかもしれませんが、良くも悪くも未だかつて一度もそういったことは起きてません。セーフ。(セーフなのか?ww)
まあ、うまく不安と向き合ってほどよくお付き合いができるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
でも不安は悪では無いということだけは思っておきたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。
ともまる