こんにちは。先日、車を運転していたら、マンホールの位置ってなんで左側のタイヤが通るとこばっかりにあるんだろう?毎回「ガタっ」ってなってタイヤが摩耗するじゃないか!とひとりでブツブツ言っていた”ともまる”です。(だまれよ!)
今日は地域のつながりってどんどん変わってきているなぁって思うことをお伝えいたします。
もうこれは言わずもがななんですが、インターネットやSNSを使って個人が簡単に発信できて、つながることができるようになったから、面と向かって会うことってすくなくなってきました。
さすがに私も引っ越した時はおとなりさんには「どうも」って挨拶はするわけなんですけど・・・。
むかしは普通だった「ご近所づきあい」

昔、小学生のときにあったような、母親が「ご飯作りすぎたからお裾分けに持って行ってくるわー」とか、「真蛸(マダコ)もらったんやけど、この量はさばききれないから」ってご近所さんからもらったりだとか。
「実家がミカン農家なもんで出荷できないけど手捨てるにはもったいないような、みかんどうぞー」ってもらったり・・・。
そんなご近所づきあいはさすがに今の世の中少なくなってきていますよね。
実家ではまだ少しはあるようなのですが、それでも少なくなってきています。
最近あった震災やコロナでおきた格差のなかで、そういったモノの共有ってあらためて大事だなって思うんです。
今では家の表札もなくなってきていたり・・・。すごい変わり様ですよね。
タウンページ?みたいな電話帳なんかも皆無・・・。そりゃそうですよね。SNSでもう繋がれるんですし。
あとそこまで名前出しをしなくなっている。
これって便利には確実になっていますよね。
どうなる「ご近所づきあい」

私のような引きこもり大好き人間からすると、人と接しなくて良いってすごいうれしいんですけど、いざっていうときは絶対困るだろうなーって。
だって、ある程度のコミュニティを築いていてパン屋とか、ご飯屋さんとか、雑貨屋さんとか、ネットでは変えない生活上必要なものを買ったりするときって絶対そのコミュニティって大事だと思うんです。
むしろ、そういうコミュニティの方が信用もあるしそこで”買いたい”ってなる。
すこし脱線してきましたが、ご近所づきあいはこれまでの地域密着型から、すこし離れていってて個々で解決できるところと集まらないとできないこと。たとえば「ゴミ回収」など。
のように少しハイブリッド化してきていると思うんです。
さすがに個が個のままで一生生活はできないので、どこかで小さいコミュニティを頼るといった感じです。
個人的には個のまま突き抜けたいんですが・・・。そうはいかない。
ひとりで生きていきたくても生きていけないってことですよね。
という現実をつきつけられたら、そのコミュニティで目立たなくても大事にされる方がぜったい良い。
むしろ、個に執着しすぎてコミュニティに入ってて近所づきあいが発生していて、それでもかたくなに個を主張していると、きっと”はみ出し者”になってしまう。
それでも良いと思う人は良いのだけれども、損か得かというと、あっとうてきに個に執着すると損してしまう世の中になってしまいます。
ただ、個でもまったく問題なく生きていけるほどの財力があったり影響力があったりするとそれは違います。
あ、因みに、ここでは私のような一般庶民の凡人の話をしています。
いろいろあるよ。お付き合いは結局「人間関係」

まあでも、なかなかむずかしいのがこの”人間関係”という「お・つ・き・あ・い」ですよね。(おもてなしみたいに言うなよ)
そんなにまわりが、たまたますごく良い人ばかりで他人の事を思いやる人ばかりではありません。
むしろ多少、問題や嫌なことがあるほうが自然です。
だからこそ、私は個でありたいと思うんですよね。嫌じゃないですか。そのコミュニティのなかに生理的に受け付けれない人がいた日には。
そんな言い訳も一理あるとして、家から出ずともある程度つながることができるし、ご近所づきあいをしなくても世の中まわることができれば私にとっては理想郷です。
でも、そうも言ってられない・・・。
だからこそ今回このテーマなんですけど。
お裾分けも、もちろんその風習はすごく素敵で良いのですけど、相手が欲しい者でないときは地獄ですよね。
それを思うと、これあげると迷惑にならないかな?とか、冷凍ものだったら、冷凍庫に入りきらないし貰っても食べきれなくて結局捨てることになったりとか。
コミュ障ならではでいろんな余計なお世話だったらシリーズを考えてしまうんですよね。
で、結果、個がいいなってなるわけです。これは私の気持ちです。すみません。
ただ、これからの時代100年時代とかなんんとかって言われていますが、そうなるとマジでやばいですよね。
80過ぎても稼いだり、会社に属さなくても(属したくても属せなくなる)生きていかなくてはいけない。
そうなったときに、話がギュッともどりますが、地域の近所づきあい(コミュニティ)って精神的にも生活安全的にも大事になってくると思うんです。
自分を守るためにもいやらしいですが、少しはコミュ障を改善しつつ周りに溶け込んでいきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ともまる