こんにちは。今日は「精製」する力についてお話ししたいと思います。
「精製」するって言葉は今私がハマっている「健康」の本からハッと気付かされました。どんな風に使われていたかというと、”お米を精製する”とか、”精製された砂糖”とかっていう感じで出現していました。健康の分野では精製されればされるほど、栄養分がすり減って(そのぶん美味しいさだけは残る)いっていてどちらかというとマイナスな言葉の手段として使われていました。
そこで、ふと思ったのが「精製」というのは単に食品だけにあらずなのかな?と思ったんです。「情報」にも当然「精製」される瞬間はあって、現に今も精製された情報が溢れていると思うんです。
具体的にはYouTubeとか、Voicyとかの動画配信や音声配信の「ビジネス系」なんかが代表例なんじゃないかなと思います。今の時代すっごいじゃないですか!昔は本とかでしか獲れない情報を無料でしかもすでに要約されたような情報が溢れているんです。
私が気に入っていっつも見ているチャンネルは決まってすでに要約(精製)された情報ばっかりです。見ていてすごくスッと入ってくるし、考えなくてもこちらの脳の動きがわかっているかのように理解しやすい。そして、理解しやすいような言葉で精製してくれています。こんなチャンネルが無料でしかもいつでもどこでも情報として得られる時代になっています。
そう考えると、逆説ですが誰でもその情報を得てその情報を知識として備えることができる。ある程度向上心が合ったり学びたいという気持ちがあると人はある一定のポジションまでは到達できると思うんです。情報を知っている「知識」があるという状態。
ここがみんなに備わったら、果たして差別化できるのかな?なんてふと思ったりしました。
何が言いたいかというと、情報の「知識を持っている」ことがすごいんじゃなくて、情報を「精製する力」の方が価値があると思うんです。まあまあ当たり前すぎることではあるんですが、すでに精製された情報を刷り込んで「知識」にして偉そうに威張っても何にもならなくて、「精製する力」にどこかでシフトして、情報を「精製」できるようにならないといけないなー。なんて思っています。
その練習ではないですが、間違いなくすでに「精製する力」が備わっている人は、息をするように本を読んでいて、そこから知識・情報を精製しています。ということは私にもできることは「本を読むこと」!そしてそれを自分なりに解釈して何かに使うこと。
てな感じで、今日も本を読んだり勉強したり、充実した1日にしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ともまる