「考える」ということは、仕事の2歩目3歩目の解像度をあげるということ

こんにちは。今日は、「考える」ということについて考えたいと思います。(ダジャレじゃないです・・・。)

「仕事ができる人=解像度が高い」

日々仕事をしていく上で、目の前の仕事ややるべき仕事を1歩目としたときに、そのさきの仕事を2歩目3歩目と認識します。その2歩目3歩目の仕事や単に推測したり想像したり相手のことを思うことでやるべきことが見えてくると思うんですけど、「仕事ができる人=解像度が高い」になると思うんです。

仕事をしていると多くの人は、「仕事ができる」と評価されたいし、お役に立てた感を出して貢献したいものです。そして仕事ができると評価されるとは、気が利くだったり先が見えてると言った言葉にも置き換えられたりします。

「解像度を上げる」にはどうすれば良いのか?

では「解像度を上げる」にはどうすれば良いのか?

2歩目・3歩目の解像度を上げる方法は、相手のことを考えることにあるんですけど、その上で「仮説」と「検証」を繰り返すことが大事になったりします。

想像が想像で終わらないようにするには仮説を立てて検証を繰り返すことにあります。当然ながらその前に相手のことを考えて仮説を立てないといけないですけどね。

その仮説と検証の数が多いほど何がいいのかというと「データ」が取れるんです。言い方を変えると「経験」ですね。その「経験」がやっぱりものをいうんです。経験が多ければ多いほどさまざまなバリエーションを経験することになるので、色んなパターンに出くわしたことになる。そして、失敗にしろ成功にしろどちらかのデータ(経験)は手に入ったということになります。

そうすると、そのデータは流用できたり違うパターンにも応用できたりします。

そこで元の話に戻りますが、推測や想像で作り上げる2歩目3歩目の仕事の解像度がかなり鮮明に見えてくるんです。経験があることであればもう完全にはっきり見えていると思います。

「考える」ことを忘れない

「仮説」と「検証」を繰り返して、そんな「経験(データ)」を貯めることができれば、「考える」ことは息をするように行えると思うんです。最初は少し違和感があったり窮屈だったりするかもしれませんが、毎日毎時間いっつも考えて考えて推測や「仮説」を想像しているときっと自分の血となり肉となる。

そうなってしまえばこっちのもんで、問題が起きるたびに体が震えたりするかもしれません。私はいっつも「はあ・・・」と項垂れていますのでまだまだです。

とな感じで「考える」ということを細分化してみました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

ともまる